桃花台新交通。1991年から2006年のわずか15年間だけ存在した新交通システムの路線です。元々は小牧市にある桃花台ニュータウンへのアクセス交通として建設された路線で、名鉄小牧線の小牧駅から桃花台東駅までの全長7.4㎞の桃花台線を運行していました。また、路線にはピーチライナーという愛称が付けられていました。今回はピーチライナーの保存車を取り上げます。
桃花台ニュータウンは1971年に都市計画が策定され、計画人口54,000人の街が作られることとなりました。そのニュータウンへのアクセス交通として、小牧~高蔵寺間での新交通システムによる輸送機関の建設が計画されました。これがピーチライナーの初端となりました。
1976年に基本計画が決定し、まずは小牧~桃花台間が、次いで桃花台~高蔵寺間で建設が進められることとなりました。しかし、1980年に桃花台ニュータウンへの入居が開始されたにもかかわらず、建設すら開始されていない状況でしたが、ようやく1981年に着工となりました。開業までの間は代行バスと言うかたちで、小牧駅~桃花台ニュータウン間でバスが運行され、1991年にようやく小牧~桃花台東間が開業となりました。
しかし、計画当初の高蔵寺方面への延伸は叶わず、バスでの運行ということとなりました。加えて、桃花台ニュータウンの計画人口が当初の2/3程度の4万人まで縮小したこと、入居が思ったように進まなかったため、利用者は開業当初から伸び悩み、赤字経営が常態化することとなりました(営業黒字になった年度はなかったほどだそうです)。
特に、桃花台から名古屋都心へのアクセスで考えると、接続路線の名鉄小牧線は当時上飯田駅までしか乗り入れておらず、上飯田駅から名城線・平安通駅までを歩くかバスに乗らざるを得ないという非常に不便な路線でした。むしろ中央西線が通る高蔵寺の方が圧倒的に利便性が高かったこともあり、計画段階の需要予測が甘かったことが推察されます。2003年に上飯田線が開業し、名城線への乗り換えが容易になったことで多少は改善しましたが、結局状況は好転には至りませんでした。
2006年春に廃止の申請と許可が下り、2006年9月30日に運行を終了し、廃線となりました。駅施設や高架橋などの構造物の多くは残されていますが、2015年には撤去の方針が出ており、いずれは撤去されることとなるようです。
さて、ピーチライナーでは開業から廃線まで100系が活躍していました。日本車輛のVONAが採用されており、その特徴は中央のレールから集電する中央案内軌条式が取られている点です。日本では山万ユーカリが丘線とここの2社のみに採用された方式です(この他には谷津遊園でも採用実績有)。
ピーチライナーの特徴としては、進行方向右側のみに乗降扉を設置している点や、運転台が前方のみに存在する点が挙げられます。このような特徴が生まれた背景としては、先述の計画人口の縮小とそれによる建設費や運行費用の削減のためです。これにより終端駅ではそのまま折り返さず、テニスラケット状のループ線を通って方向転換をすることとなりました。
100系は日本車輛と三菱重工業の2社で計5編成が製造され、4両の固定編成を組成していました。乗降扉は先述の通り片側にしかないため、反対側は固定窓のみが並んだ特徴的な見た目になっています。車内には固定クロスシートが乗降口側は1人掛け、反対側には2人掛けのものが配置されていました。100系の保存車は4両が残存しています。
① 111
豊田市内の工務店の敷地内に保存されています。近年再塗装されたため、非常に綺麗な状態になっています。また、車内が公開されているため、立ち入る事が出来ます。
② 113
個人宅にて保存されています。
③ 114+144
三重県の企業敷地内に2両で保存されています。現存する唯一?の三菱重工製の編成かつ、140形の保存車です。露天で保存されているため、訪問当時(2015年)はかなり塗装が痛んでいましたが、近年は再塗装が進められているようで、綺麗になった際にはまた見てみたいものです。
路線としては残念な結果となったピーチライナーですが、解体業者にも譲渡された車両が数多くいるため、保存車の正確な情報が正直よく分からず、この他にも現存する車両がいるのかが気になるところです。
今回はこれにて。